2017-07-28

「日本史の悪役」から学ぶナリワイ人の生き方【第1回】石田三成(前編)

歴史というのは残酷だ。いや、後世の人間が残酷と言うべきか。
何しろ、人間というものは先人を善悪で区別してしまいがちだ。洋の東西を問わず「失敗した奴は悪人だった」という先入観があるようで、そのせいで偉大なことをしているにもかかわらず極端に低い評価しか与えられない歴史人物が少なくない。
まさに勝てば官軍、負ければ賊軍。


石田三成なんか、間違いなくそのひとりだ。最近ではだいぶ見直されてはいるけれど、一昔前まではもうケチョンケチョンだった。やれ「秀吉に媚を売る小役人」だの、やれ「冷酷で人の心を読めない」だの、本人が生きていたら名誉毀損で訴えられそうなことばかり言われていた。
もちろん、そんなことは一切ない。それどころか、三成に限らず「歴史上の悪人」ほど、学ぶべき部分がたくさんあると筆者は断言する。

 

前代未聞の大事業

石田三成を語る前に、豊臣秀吉という男について少し語ろう。
この人物は、なぜ天下を取ることができたのか? 端的に言えば、上司である織田信長が「天下の取り方」を教えてくれたからだ。
しかも、7割方の作業は信長がやってくれた。
ところが、問題は残りの3割である。何しろ「全国の地方豪族を残らず制圧して自分が権力者になる」というのは前代未聞だから、マニュアルなんてないわけだ。ちなみに源頼朝がやったのは「政権運営を公家から奪い取る」、「武士なのに公家と同化しやがった平家を倒す」ということで、信長の天下平定事業とは内容が全然違う。
だから信長が突然この世を去ったということは、天下を取るための具体的な設計図を持った者がいなくなったという意味である。すると当然、日本は先の見えない大戦乱の世に逆戻り……のはずだった。
そういうシナリオにならなかったのは、我らが太閤殿下の大功績である。

太閤検地は度量を統一させた

けれど、そんな太閤殿下にとっても「平和が到来したあとの世界」を運営するのは至難の業だった。
日本人は今でも、「平和」という単語を唱えるのが大好きだ。世の中平和であれば万事上手く行く、と思い込んでいるフシがある。
帆船乗りにとって、台風も凪も非常に厄介だ。無風状態であればこその災難や困難がある、ということを日本人はなぜか考慮しない。日本が平和になっちゃったらなっちゃったで、また大変なのだ。
まず、天下を平定するということは「日本をひとつにする」ということ。そのために必要なのは、財政機構の統一である。
戦国時代当時、年貢の取り方は各地域でバラバラだった。それどころか、同じ「1升」という単位ですらも地域によって容量が違っていた。だから秀吉は、1升枡の統一に乗り出した。
そういうことを文章で書くのは簡単だけど、実際にやるのはすごく難しい。たとえば、我々現代人はメートル法を使っている。それがある日突然政府から「度量単位をヤード・ポンド法にする」と言われたら、誰だって反対するだろう。秀吉の太閤検地とは、要するにそういうことだ。
けれど、太閤検地の場合は「バラバラだったものを統一する」というものだから、財政機構の合理化の上では絶対に欠かせない事業でもある。
そしてそのことを、各地域の地元住民に説明できる人間が必要になってくるわけだ。「今日から1升枡はこの大きさにしますが、こっちのほうがじつは合理的なんですよ」と、分かりやすく解説できる役がどうしても欲しい。
それをやったのが、他でもない石田三成である。

 

平和な世では「官僚」が重宝される

で、ここからが肝心なのだが、戦国時代という気風の中ではそんな人材は絶対に生まれない。

当然だ。戦国時代の男の仕事は、槍を振り回して敵を殺すことなんだから。

じゃあ何で三成のような人材が登場したのかというと、これはもう奇跡に近いと筆者は考えている。いや、ホントに。

「王朝の創始者」というのは、屈強な武人には恵まれる。というより、そうでなければ王朝を創設することなどできない。ところが、いざ王朝を作って世の中を平和にしちゃったら、武人に与える仕事がなくなっちまうわけだ。だから天下平定後の武人は反乱を起こしやすいし、権力者もそれを骨の髄まで理解しているから彼らを粛清の対象にせざるを得ない。

それとは逆に、官僚は重宝される。平和な世を維持していくには、一に財政管理、二に財政管理。日本人が軽々しく口にする「平和」とは、結局のところカネで維持される。それしか方法はない。

その理屈を心得ている奇跡的な逸材を、太閤殿下は早い段階で部下にしていたということだ。

以下、後編に続きます。

 

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キンコン西野StayMyLove
【STAY MY LOVE】楽しそうなことに乗っからない理由が見つからない。

澤田真一(さわだ・まさかず)

1984年10月11日生。経済、テクノロジー関連メディアなどで執筆を請け負う。

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